青草新吾の惺々著考 glocaleigyo

生産財の青草新吾1はリタイア。シニアの青草新吾2は複業で貢献を目指す。

101-1/3 ガンジー主義とミャンマー

仏教国ミャンマー武力行使も辞さない政府軍を前に粛々と続けられるデモ行進の映像は、ヒンズー国印度で50-60年前まで展開されたガンジー主義(不服従・非暴力・無抵抗)と重なります。

素手立ち向かう群衆を見て、自らの命を捨ててでも独立を勝ち取るために非暴力と無抵抗で立ち向かっていったガンジー主義を想起しました。筆者/青草新吾は、ガンジー主義とは、言論の自由を活かして良識派に訴えることで勝利を勝ち取っていく運動論と理解しています。ガンジー主義は言論の自由がないところでは有効ではありません。残念ながら中共軍に侵攻されたままのチベットあるいは北朝鮮のような言論統制では累々と抹殺されていくのみです。印度国とガンジー主義にとっては、英国の支配下であったことが幸いし、英国の良識派の動きで英連邦の一国としての独立が加速されました。89[テレビで中国]で中国革命と日本との係りについて記述しましたが、インド独立においても日本は深く係っています。比国(フィリピン)独立の英雄と称えられるホセ・リサールも国外退去中は日本にいたようで、筆者/青草新吾はマニラのイントラムス(旧スペイン総督府)の中の記念館でリサールの恋人と紹介された日本女性の写真を見たことがあります。
東洋で、仏教ヒンズーの流れを汲む精神文化では、未来への自己犠牲みたいなものがあります。例えば米国による原爆投下は非戦闘員である民間人を狙った残虐行為であり、当時でも国際法違反だったはずですが、日本では「戦争そのものが良くなかった。新しい日本は戦争をしない国にしよう。」ということで日本国民は復讐とは決別しています。復讐心も燃えて「原爆投下をした米国を絶対にへこましたる。絶対に復讐したるで!」などという物騒な御仁はみかけたことがありません。8百年前の蒙古軍の残虐行為の後でも、戦争が終われば蒙古塚を作って弔っています。福岡県や長崎県山口県など西日本各地には蒙古塚が残っています。7世紀の朝鮮半島では、倭国百済連合軍が白村江で唐・新羅の連合軍に敗れてからは、多くの百済難民が日本に亡命し、大阪府枚方市には百済寺百済神社が残っています。
一方、欧米は104で前述のように現在価値を重視する傾向が強く、特にアングロサクソン系は、やられたら必ずやり返すという復讐を現在価値として重視する傾向が強いようです。米国の映画では、やり返す内容の復讐話が氾濫しています。だからこそ日本から米国への復讐を回避する予防処置として、原爆投下後の米国政府対日工作では、米国らしい合理性を付与した米国の主張「原爆投下で戦争が終結し犠牲者が少なくて済んだ。」を徹底宣伝しました。中華文化も同様に現在価値重視で復讐心も強く、筆者/青草新吾の知る限りでは、中国の多くの方々は日本人の発想死ねば皆仏。霊を弔う。」が理解できません。日本国は、そのような文化の国々と付き合っていかねばなりません。21世紀はアジアの時代と言われて久しいのですが、日本とアジアの関わりでは歴史のスパイラルな進化を感じます。