青草新吾の惺々著考 glocaleigyo

生産財の青草新吾1はリタイア。シニアの青草新吾2は複業で貢献を目指す。

109-1/4 組織論で自己愛障害とEQ

戦後日本は、学校やマスメディアの多くが人格障害培養器みたいになっていますから、組織論の分野でも自己愛障害とかEQ(情動マネジメント力)に係る課題が拡大していく一方のような気がしています。

GHQ日教組が展開した伝統倫理破壊、欧米が優れていて東洋が遅れているなどの欧米進歩史観、バブル以降の拝金主義グローバル化による獰猛で野蛮な市場原理主義(極端な資本主義)が蔓延していますから、人格形成で大切な倫理観社会規範希薄化していく一方です。バブル期に様々な経済事件の中心にいたのは終戦後の学校教育で修身廃止黒塗り教科書などを経験したような世代の人たちでした。114で前述の八幡洋氏の著書に登場する自己愛上司も教科書黒塗り以降の世代です。
八幡洋氏の表現を借りると、病的な自己愛(自己愛障害)の持ち主が絶対にできないのが自然体です。自己愛障害の対極モデルが自然体です。例えば自然体のイメージが強い野球選手のイチローは自己愛障害の対極の人物像です。イチローのイメージとは「自然体」「他人との比較よりも自分との闘い(工夫と努力)」といった健康な心に宿る大人の健全な自己愛そのものです。米国のインテリの中には野球選手のイチロー禅の求道者と重ねてみる人が多いそうです。企業の組織能力を高めていくためには、イチローのように自然体で黙々と自己開発に奮闘できる社員を獲得していかねばなりません。
一方で、イチローの対極の人物像である自己愛上司とは、組織目標に向けての努力は期待薄です。深層心理では、周囲が自分のために成果をもたらしてくれて当然と考えているからです。ルールにも無関心です。深層心理では、特別な自分にはルールは適用外と考えているからです。自己愛上司のエネルギーの大半がビッグでスペシャルな自分を自己演出するために消費されています。言動の特徴はもったいぶり仰々しさ自己演出の3点セットです。多くの人が出会いがしらの立派さに眩まされて期待をしますが、時間の経過とともに組織の生産性低下が浮かび上がってきます。予防処置としては、40歳代になっても自己愛障害を克服できていない病的性格者を上司的立場に登用しない、あるいは人材開発としては、30歳代までに自己愛障害を克服できるような職場の環境整備と職務経験プログラムの形成など・・が有効と考えられます。
筆者/青草新吾は発達心理学の知識はありませんが、経験的には、次のようにいえると思います。自己愛からみた人間の成長(発達)とは、幼児の自己愛社会化されることで大人の健全な自己愛へと発展していく、換言すればケモノが社会経験を通して人間性を養い大人の健全な自己愛を獲得していく過程です。大人の自己愛とは、家族愛、郷土愛、社会への貢献・・など、自分を相対化して社会と一体化した部分があります。自己愛の発達過程と正常に発達しそこなった歪んだ自己愛とは、116で前述の岡田尊司氏の著書*1によると、「対人関係論という精神分析の領域を確立したメラニークラインが見出した幼い子供にみられる妄想・分裂ポジションは、見かけは大人でも、自我が未分化であると、出現しやすい。思い通りにならない相手を悪い人と決めつけ、不利な状況を、自分ではなく相手や周囲のせいにしてしまうのである(部分的対象関係)。自我が強化され、自分にとって都合の悪い部分も受け止められるようになると相手のことも考えられる人格に発展する(全体的対象関係)。米国の精神医学者カーンバーグの考え方に従えば、人格障害は、概ね精神病レベルと神経症レベルの(中間に位置する)。」また社会システムとしての人格障害の予防システムに関し「人生のごく初期に刷り込まれた世界認識のパターンというものは、一生その人を支配し続ける。それは生物学的に、あるいは大脳生理学的に決定付けられたものであり、修正は非常に困難である。その意味で、家庭の養育で母親が幼い子供に、気持ちのゆとりを持って関われるようなシステムを作っていくことが必要に思える。次に、家庭の養育に多少の問題があっても、教育システムによって、それを補うことが可能であるし、そうすることが求められるであろう。本来、学校教育は、そういう意図のもとに始まったのである。まず子供にとって、学校が安心の居場所であるということが必要で、その上で学校に求められる最大の課題は、集団生活が支障なく行えるスキルを身につけることであろう。ルールを守る忍耐力協調性責任感コミュニケーション能力共感性・・そうした基本的なスキルさえ身についていれば、学力も自ずとついてくるのである。楽しいことをして気を惹くのではなく、教えるべき忍耐することの楽しさである。漫画やゲームは薬と同じくらいのチェックが必要である。肝心なことは、目の前の欲求を満たすことではなく、本人が将来自立していくための能力を身につけることなのである。人間が高い知能を持った獣に退歩してしまうのを食い止めねばならない。そのためには、人とのつながり体験に、喜びと価値を見出せる社会を築き直さなければならない。」と訴えておられます。また上述著書では、117で前述の3カテゴリー10タイプの人格障害共通事項に関し「一番目に、自分に対する強いこだわり、仏教でいう我執精神分析でいう自己愛、二番目は、とても傷つき易くて、無意味な咳払いにさえ悪意を感じて傷つくこともある、そしてこのことから三番目の特徴である両極端思考(両極端の二分法思考)がでてくる。自己愛性人格障害の人は、トップになれないのなら、やらない方がましだと考える。強迫性人格障害の人は、自分の決めた通りにやれないのなら、やらない方がましだと考える。回避性人格障害の人は、どうせ嫌われるのなら、付き合わない方がましだと考える。境界性人格障害の人は、恋人から少し冷たい素振りを見せられただけで、捨てられるのなら死んだほうがましだと考えて自殺企図する。死ぬという究極の結論を出すまでの間には、無数の選択肢があるはずだが、中間は目に入らないのだ。」と俯瞰しておられます。
自己愛上司(八幡洋氏115)や厄介者・キツネ(沼上幹氏113)にとって天敵あるいはリハビリ訓練師みたいな存在が日本電産の永守創業者かもしれません、次頁で記述します。