青草新吾の惺々著考 glocaleigyo

生産財営業でイノベーション共創と社会貢献を目指す。

115-1/2 松下電器にみる事業部制の進化

事業部制の利点と弱点並びにスパイラル展開を経ての克服事例を松下電器(パナソニック)が提供してくれています。

組織の大小に関わらず、多角化事業では事業部制が向いています。反面で事業部制とは分権化による弊害も生じやすい組織形態であるともいえます。日本国で事業部制の先鞭をつけたのは122で前述の松下電器(パナソニック)とのことです。松下電器事業部制とは、創造的に日本化(Japanization/100[スパイラル進化]で前述)された事業部制であったようです。下術の経理社員制度のように、上述の事業部制で生じやすい弊害への予防も仕組まれていたそうです。産経新聞2007年12月18日付のシリーズ記事(松下幸之助と歩む旅)で事業部制導入の頃の記述がありました。以下抜粋[昭和8年(1933年)5月、門真への本社移転を機に松下電器の事業は三分割(下術)されることになった。我国の経営史上画期的な組織体制とされる事業部制の誕生である。従業員数約16百人に達していた。さしもの幸之助も全従業員の把握は困難である。彼は事業部長を通じて従業員を把握することにしたのである。独立採算性が採られ、研究開発から製造販売宣伝にいたるまで、すべて事業部ごとに行うこととなった。しかしすべて任せてしまうなら社長はいらない。あくまで最後の決断を下すのは自分の仕事である。そして決断には情報が必要だ。そこで高橋荒太郎が幸之助の意向を汲み、心血を注いで作り上げた組織が経理社員制度である。経理社員は、入社時の面接から別採用エリート集団であり、幸之助直属部隊として事業部や子会社へと送り込まれた。事業の施策立案はあくまでも事業部長が行うのだが、最終決定は幸之助が行った。]以上抜粋、と記載してありました。上述の3事業部とは、松下電器のホームページに「第1事業部(ラジオ)、第2事業部(ランプ乾電池)、第3事業部(配線器具・合成樹脂・電熱器)」と記載してあります。先駆的に導入されて松下電器の成長を牽引した事業部制でしたが、1990年代になると硬直化してしまって、多くの事業部組織が環境不適合を起こし、業績が悪化しました。2000年6月に就任した中村社長は、2003年1月1日に、100以上もの事業部を一回り大きな14のドメイン(事業分野ユニット)に括り直した上で、ドメイン内部では、事業部よりも小ぶりなビジネスユニット(BU)が市場対応を行う体制に改革したこと120で前述通りです。松下電器が2003年に導入した経営組織[事業ドメイン・ビジネスユニット制]とは、マネジメントの単位ドメイン(経営資源の単位)とBU(市場と顧客対応の単位)に分解した事業部制の進化系です。変化が激しい時代のスクラップアンドビルト(投資や人材の配置の括り直し)は大きな括りでないとできません。一方で複雑化した市場と顧客への対応は、できるだけ小さくて柔軟な組織がベターです。交通網やITの発達で時空が広がった反面で、市場が複雑化して市場や顧客のセグメントは細かくなりました。地方自治における道州制の議論(地方自治の単位を道州へ、住民サービスの単位を市町村へ)とも重なります。筆者/青草新吾は、松下幸之助創業者も今の環境であればこのような組織にしたであろうと想像します。松下電器が2003年に上述の経営単位の括り直しを実施して以降、事業部制をとる企業の多くが同様の括り直し[資源の括りはより大きく顧客対応の括りはより小さく]を実行しています。一方でカンパニー制(欧米企業並みの本格的な事業部制)を導入した多くの企業が、数年の施行を経てカンパニー制を廃止する事例も相次いでいます。トヨタに代表される機能別組織の場合には121と123[組織生産性]で前述した集団規模のマネジメントが行われますが、松下電器に代表される分権的な事業部制の組織デザインでは、集団規模に加えて経営資源市場対応マネジメント単位括り直しが盛んに行われた、あるいは行われている、ということです。次頁では欧米から導入される知識に対する日本化の効果並びにカンパニー制(欧米の事業部制モデル)について考察してみます。