青草新吾の惺々著考 glocaleigyo

エコシステム型の生産財営業でイノベーション共創と好社会を目指す。

124-1/2 中華共産主義の傾向把握

中国共産党政府は1950年代のチベット軍事占領に続いてインド、ソ連ベトナム、フィリピン、韓国、最近では日本へと、連綿と領土紛争をしかけ続けていますが、漢族による中華思想と一体化した漢族共産主義(中華共産主義)によるものであることを黄文雄氏の著書で知りました。

ミャンマーサイクロン被害に加えて更にチベット高原四川(Si Sheng)盆地境界の断層で発生した地震に心が痛みます。被災地の四川(Si Sheng)盆地の北部は、かってはチベット領でした。今のチベット自治区とは旧チベット国の半分くらいです。共産党軍によるチベット占領後に、チベット領の半分四川省甘粛(Gansu)省雲南省などの省に分割編入されました。今回の被災地であるブン(さんずいに文)川県はチベット人居住区でパンダの棲息地でもあるそうです。テレビ報道を見ていると、政府関係の建物はそのまま残っているのに、小学校などは崩壊していました。私腹を肥やす共産党幹部や役所高官の公金横領で手抜き工事が日常化していたのではないでしょうか・・。日本でも河野洋平衆院議長などが進めてきた対中ODA対中援助の周辺では政界の中共利権があるともいわれているので、日中複合汚職みたいなこともあるのかもしれませんが・・。中国大陸における共産党一党独裁がいつまで続くのか、その場合のチャイナリスクはどのようなものか・・生産財営業を洞察する上で、主要な関心事項の一つです。
社会党や今の社会民主党が唱える非武装中立の歴史的モデルがチベット(雪国/カワチェンと発音するらしい)です。第二次世界大戦後、印度など多くの国が独立していきましたが、戦後に独立を失ったのはチベットのみです。同大戦では、米英チベット経由蒋介石(Chiang Kai-Shek)率いる中華民国軍への物資輸送を検討したが、当時のチベット政府断固拒否したそうです。このことがその後の英国の冷淡な態度を招いたのかもしれません。8世紀吐蕃(トゥボ/とばん)王朝の時代には唐の都/長安を占領するほどの軍事強国だったチベットでしたが、後に仏教国となり、更にモンゴル人が建国した元王朝チベット仏教帰依してからは、ダライラマチベット(ガンデンボタン)は、欧州におけるローマ法王バチカン市国のような立場となって、限りなく非武装中立に近い国家となり、僅かな警察軍程度しか保有していなかったようです。そのチベット中国共産党(人民解放軍)が朝鮮戦争ドサクサ紛れ1950年侵攻して軍事占領してしまいました。今のように通信手段が発達していない時代ですが、それでも当時の国際社会では、1950年に中米のエルサルバドルが「印度英国チベット政府メッセージ国連に取り次ぐべき」と訴えたり、あるいは1959年国連14回総会ではマレーシア(馬国)とアイルランドが「中国をチベット侵略で提訴」した、あるいは同じく1959年の6月には国際法曹委員会が、中共の残虐行為に関し「1948年の国連ジェノサイド協定への抵触が明白である」として[チベット問題と法の統治]と題する報告書を提出した・・などの記録が残っているそうです。
ナチスドイツユダヤを押し込んだゲットーの中では少なからぬ方々が抵抗運動に立ち上がって散っていかれたそうですが、温和といわれるチベット人も、多くの方々が抵抗運動に立ち上がっていたそうです。米国人マイケルダナム(Mikel Dunham)氏が上梓した「仏陀の戦士たち」(Buddha’s Warriors)と題する著書の訳本*1で、当時のチベット抵抗運動の記録を知りました。米国CIAのロジャー・マッカーシー氏が支援していたこと、1969年に中共政権と国交を樹立したニクソン政権中共政府との取引で支援中止したこと、1974年に中共軍とネパール軍の大軍を前に抵抗部隊のリーダー(ワンドゥ)が殺害され、残り5人のゲリラ指導者も獄につながれ、チベット抵抗運動が幕を閉じたことを知りました。訳者あとがきで訳者の山際素男氏は「漢民族中華思想を甘くみてはいけない。昔の世界支配の夢を漢民族(中国)は決して捨ててはいないのである。野望実現の意図は逆にいっそう現実化し、逞しくしている、ということなのだ。毛沢東をはじめとする中共政権は、チベット植民地化を当初から目的とし、大軍を投入して占領化政策を推し進めた。強盗さながらに押し込んでいった。・・・・・それにしても中共チベット侵略とその植民地化のやり方は凄まじい。毛沢東が、チベット支配するにはまず仏教仏教指導者を徹底的に滅ぼせといったのは脅しでなかった。いわゆる共産主義者のいう上部構造を叩け、という思想の実践である。チベットの不幸は、闇から闇へ葬ってゆける歴史的状況を中共に利用されたことにある。誰も知らないどさくさまぎれに抹殺されてしまったのだ。このような下手人たちが今も健在で中国を支配していることを絶対に忘れてはなるまい。」と述べておられます。ガンジー主義について110[07年10月]で記述しましたが、ガンジーの相手は英国でした。ダライラマの相手は中国共産党ですから英国相手よりもはるかに過酷です。かってのナチスドイツソ連共産党が密室の中で行った残虐行為は、外からは見えにくく、政権崩壊後民主化の過程で様々な事実が明るみに出てきました。同様に思想信条の自由を認めない中国共産党が密室で行う残虐行為も、共産党政権が崩壊するか民主化が進むまでは、一方的なプロパガンダに騙されることも多かろうと思います。
中国現るところ乱あり」という言辞があるそうです。この言辞を「米軍引くところ米軍にとって代わって中共軍現る」と置き換えると歴史的事実がよく判ります。1973年米軍のベトナム撤退では、ベトナムが実効支配していた西沙(パラセル)諸島中共軍事侵攻してベトナム軍を追い出して軍事基地化してしまいました。1992年には米軍の比国(フィリピン)撤退の後に、日本が敗戦で放棄した南沙(スプラトリー)諸島中共軍事進出して紛争地となっています。米国から日本への1972年沖縄返還が決定した1971年以降中国共産党尖閣諸島領有権を主張しだしました。台湾国民党も同様の領有権を主張しているそうです。この尖閣諸島には日系工場(魚肉加工工場)もあったし、米軍の沖縄占領後に米軍が射撃練習場として使用していた島嶼なのですが・・。言われっぱなしの日本政府と日本外務省の不甲斐無さを感じてしまいます。海外で生活すると米国人は強い母国に守られていると感じているようですが、日本人は母国政府から守られていると感じることはできないのもこれまた実感です。尚、国名表記に関し、中国を使っているのは日本だけのようです。海外はChina(チャイナとか支那と発音)だそうです。なぜそうなったのかは、中華民国の国民党が敗戦国の日本に対して「支那(China)ではなくて、中国(中華秩序の中心にある国)と呼ぶよう」との要求が出されて、外務省が受け入れてからのことだそうです。
この中華思想(漢人唯我独尊主義)と一体化している漢族共産党領土観とは、どんなものなのでしょうか?次頁では、黄文雄氏の著書*2を参考に考察してみます。

*1:「中国はいかにチベットを侵略したか」山際素男ISBN:477004030x

*2:「日本人が知らない中国の正体」黄文雄著 ISBN:9784880862262