青草新吾の惺々著考 glocaleigyo

生産財の青草新吾1はリタイア。シニアの青草新吾2は複業で貢献を目指す。

141-2/3. 古代ローマから法治国家モデルへ、中世モンゴルからグローバル通商国家モデルへ

古代ローマ帝国法治国家モデルが確立され、中世のモンゴル帝国信用取引とグローバル通商国家モデルが誕生しています。

ローマ帝国ではローマ街道が栄え、モンゴル帝国ではシルクロードが栄えました。覇権国を中心としたパワーバランスは、時代の価値観経済活動多大な影響を及ぼします。覇権国とは、国際社会において規範やルールを設定し、他国の同意や服従を引き出すリーダーシップを持ったスーパー強国です。以下、覇権国について記述します。人類の歴史の現実からは、平和とはパワーバランスによってもたらされてきたものであることが判ります。平和とは、平和を唱えていれば訪れるというものでないことは、永世中立国スイスでさえ“国民皆兵民間防衛自国を防衛する”ことを国是としていることや、冷戦時代のフィンランドが西側の自由陣営ながらも、ソ連とも緊密な関係を維持し続けた“フィンランド化”(現実と向き合って平和を維持するための政策)からも判ります。産経新聞2009年1月25日付で「第二次世界大戦では、独ソ両大国の外交ソ連フィンランド侵略黙認され、冬戦争で国境が書き換えられた。」との記事が“フィンランドの平和主義”と題してロンドン支局長の寄稿が出ていました。平和憲法や平和宣言だけでは、平和を守れません。敗戦後の日本が平和を維持できたのは米軍の傘とアジアで最強の軍事力(自衛隊)があったからです。それでも自衛隊海上保安庁が手出しできないのが知れわたっているので、自国民が拉致されたり、しかも旧社会党のように“北朝鮮の拉致なんてあるわけない”と平和ボケと認識力の偏向を丸出しにする勢力があったり、清国から“尖閣列島の日本住民が清国難破船を助けてくれて深謝”との清国からの礼状も残っていて日本領土があきらかな尖閣列島では中国から領土紛争を仕掛けられたり、国際教養大学学長の中嶋峯雄氏*1が「中国の首相釣魚台(尖閣列島)という名のつく迎賓館でキャッチボールをしたと言って、日本の首相が喜んでいる様国辱以外のなにものでもない。」(Will 2008.10)と嘆かれるような不甲斐無いことが起きているのが現実です。現実の世界平和は、覇権国の登場でもたらされています。覇権国を示すパクス(Pax)とは平和を示す接頭語です。国名と組み合わせることで“平和をもたらした覇権国家”を示します。
古代と中世では1−2世紀のローマ帝国パクスロマーナ(Pax Romana、ローマによる平和)、13世紀のモンゴル帝国とその後のモンゴル連邦によるパクスモンゴリア(Pax Mongolia モンゴルによる平和)です。ローマ在住のローマ史研究家である塩野七生氏によるとローマ帝国の皇帝とは「元老院市民たちの承認を得て就任する。つまり、元老院が、第一人者であると認め、護民官特権、全軍最高指令権を与えることを議決し、また同時に市民たちが新皇帝の統治を承認すると表明してはじめて、彼は皇帝になったとされる。ローマの皇帝がシナ(China/支那)の皇帝異なるのは、人々の承認を得てはじめて存在理由を獲得できたこと。」*2ということです。モンゴル帝国のハンも、大集会(クリルタイ)で推戴(すいたい)されました。チンギスハン1206年クリルタイでチンギスハンとなりモンゴル国を建国しました。チンギスハン死後の二年後、1229年のクリルタイで二代目のオゴディが、以降、三代目のグユクハン、四代目のモンケハン、五代目のフビライハン・・とクリルタイで推戴を受けてハンに就任しています。19世紀には英連邦によるパクスブリタニカ(Pax Britanica)の時期があり、20世紀に入ると米国のパクスアメリカーナ(Pax Americana)へと移ってきましたが、そして1991年のソ連崩壊で“歴史の終り”で実現したかに見えましたが、2001年の9・11テロは73[2007.11]で触れた文明の衝突が拡大していく時代の始まりのようでもあり、今回2008年の金融危機21世紀型帝国主義の幕開けのようでもあり、今一度この時点で、19世紀から20世紀にかけての西欧列強の植民地争奪と帝国主義の歴史を振り返っておく価値がありそうです。

*1:「日本人と中国人 ここが大違い」中嶋峯雄 ISBN:9784569698427

*2:「ローマから日本が見える」塩野七生ISBN:9784087463477