青草新吾の惺々著考 glocaleigyo

生産財の青草新吾1はリタイア。シニアの青草新吾2は複業で貢献を目指す。

153-2/3. ポスト京都議定書 中国やロシアへの血税ばらまきにしないで

ポスト京都の温暖化ガスの排出削減目標に関し、日本は05年比15%削減(90年比8%削減)、米国は05年比14%削減(90年比ゼロ)、欧州は05年比13%削減(90年比20%減)、と先進国の政策目標が出揃いました。

欧州(EU)が基準年1990年に固執するのは、先進国のババヌキゲームと化した京都議定書ポスト京都議定書有利になるからです。欧州が“排出権というマネーゲーム”を提案し、日本が受け入れたために、中国などは濡れ手に粟というのは158と159で前述した通りです。削減義務を負わないロシア旧東欧も虎視眈々と排出権売却による資金獲得狙をっています。・・・・90年対比だと欧州9%もCO2排出量削減を実現できたことになり、逆に日本は排出量が増えたこととなり、排出量を増やした日本はペナルティとして数兆円もの国税(国民の血税)を投入して、排出枠購入に追い込まれています。ニューズウィーク日本版2009年7月15日号は「欧州環境庁が5月に発表した報告書によると、欧州の排出削減の半分は“汚染物質を撒き散らしていた旧共産圏の工場89年以降相次いで閉鎖されたこと”で獲得している。05年に導入された排出権取引システム効果は不透明で、排出権取引が排出削減にどれほど貢献したかも不透明だ。例えば、ドイツの排出削減で大きく貢献したのは建設業界で、これは厳しい規制やエネルギー価格の高騰などのせいで、老巧化した建物の省エネ化を図る改築ブームが起きたためだ。」と報道していますが、日本の事件捏造メディアは、下術の日経新聞2009年6月11日付のように、このようなことは伝えようともしませんし、国際交渉で日本国民を貧しくなるための努力に追い込むような、日本国民の血税企業収益から欧州経由中国やロシアにばら蒔くことを促すような報道ばかりがみられます。
麻生太郎首相は、2009年6月10日に「温室効果ガス排出削減中期目標を“05年度比15%減(90年比8%減)”」と発表しました。公明党の21%減に配慮し、14%減に1%上積みしたとのことです。これを受けた五紙の反応は、正論2009年8月号の各紙ダイジェスト記事によると、産経新聞は6月11日付で「日本に過酷な重荷がのしかかる中期目標だが、もともと日本の排出総量が(世界の5%)と少ないから、身を削る思いで達成しても地球の温暖化防止には、焼け石に水であるのがむなしい。・・・・世界の排出量の40%を占める米国中国参加こそが温暖化を食い止めるための実効的な手立てである。」と、読売も11日付で「多難な国際交渉が待っている。中国インド参加が、ポスト京都絶対条件である。それができなければ、日本が不利な立場に追いやられた京都議定書の繰り返しとなる。」と警告、一方で朝日新聞は11日付で「“首相の掲げた数字は小さく、交渉の場でより大きな削減目標を迫られる可能性がある。”“中国やインドのように排出量の多い新興国に削減目標を促す意味でも、日本削減目標を上げることが重要だ。”“先進国全体で90年比25-40%削減する必要がある。”という認識が、欧州や途上国、新興国の間で広がっている。」、毎日新聞は「麻生太郎首相が10日に公表した温室効果ガスの中期削減目標からは、低炭素社会の実現に向けた日本の強い意思や理念が伝わってこない。中国などの新興国の参加を促すには、さらなる戦略が必要だ。」、日経新聞論説委員の中に左傾化傾向がでてきていますが11日付で「欧州(EU)は20年に90年比20%減の目標を掲げている。欧州と理念を共有できず、溝は深まったのではないか。内向き目標に引きずられて高い排出削減目標を回避する姿勢がにじんでいて、国際社会を納得させるのは容易ではない。」と報道しています。日経新聞は、わざわざ“90年比”と欧州の90年基準を引用しますが、欧州の削減目標は05年対比では13%削減であって、05年対比15%削減を掲げた日本よりも低いのに、あたかも欧州の方が高い目標を掲げているかのようなレトリックというか捏造を行っています。日経新聞の上述報道は偏向しておりフェアではありません。・・・欧州京都議定書と同様に、ポスト京都議定書でも欧州基準国際標準にしようとしています。引き続き国際標準を押さえてしまうことで大きな利益が見込めるからです。2割排出国の米国は、欧州が主導権を得た京都議定書からは離脱してしまいましたが、今度グリーンニューディールを打ち上げ、米国主導新しい枠組みを作ろうとしています。2割排出国の中国は、京都議定書で得た削減義務を負わない国の利権として、年間約1億トン排出権取引では供給の6−7割を行う受益国ですが、新興国の利益代表になりながら、この利権を温存しようとしています。環境問題とは、環境戦争世界大戦と言い換えた方が相応しいものになってきています。