青草新吾の惺々著考 glocaleigyo

生産財営業でイノベーション共創と社会貢献を目指す。

175.東日本大震災 2011.3.11

自然災害としての1次災害への復旧・復興では、不作為による2次災害や、誤った政策による3次災害を起こさぬよう、また復旧・復興のためにも経済活動の一層の活性化を進めねばなりません。

被災者の皆様に心からお見舞い申し上げます。筆者/青草新吾は3月11日午後の地震発生を泰国滞在中に知り、翌朝の大阪関空KIX向け航空機の中で、1995年1月の阪神大震災以降のことをあれこれと思い起こしました。1995年はマニラに駐在していたので、1月17日早朝の阪神大震災の発生は、衛星放送のニュースで知りました。当時、現地でお互いに連絡を取り合った神戸企業の社長さんと、今回の東日本震災発生翌日3月12日の帰国フライトが偶然にも同じでした。そういえば1995年1月の日本政府は政権交代社会党出身の村山富一・連立政権、今回の東日本震災でも政権交代後の民主党菅直人政権というのも何かのめぐり合わせかもしれません。「歴史を知り」「世界を知り」「これからの日本のあり方を考えていく」ことが必要です。幕末に米国から派遣されたハリスが「日本の役人は地上における最大の嘘つきだが、人民喜望峰以東の最も優れた人民」との記録を残しているそうですが、「平和ボケ時代の急変」の組合せという点では、幕末も今も同じなのかもしれません。
以下、阪神大震災当時の1次災害2次災害3次災害を振り返ってみます。阪神大震災という自然災害の1次災害に際して、2次災害は、1995年1月当時の村山富一政権が、社会党の体質からか、何よりもまず「防災国防・安全保障」といった危機管理マインド恐ろしく欠如していたことと、日本の中央官庁の縦割り体質で引き起こされています。村山首相は、初動段階において、実際に起こった目の前の危機に際し、平時と同じような考え方とふるまいしかできず、イデオロギー優先で、自衛隊米軍への緊急出動要請が遅れ、数多(あまた)の2次災害をもたらしたようです。さらに、3次災害は、1996年に財務省官僚に乗せられた橋本政権緊縮財政へ早すぎた転換でした。象徴的な事例は、1997年の三洋証券山一証券北海道拓殖銀行連続破綻と、二年間のゼロ成長とマイナス成長でした。後で橋本龍太郎元首相は「私の財政改革は間違っていた。これで国民に多大の迷惑をおかけした。国民に深くお詫びしたい。」と述べておられます。しかし一国の総理経験者がお詫びをせねばならぬような情報操作を行った大蔵省はその後、財務省金融庁に分割されたものの、財務省が改革されたという話はあまり聞きません。阪神大震災当時の2次災害では、阪神大震災発生直後の村山政権の初動をみると、ダイエーセブンイレブンといった民間企業が続々と緊急支援活動を開始している中で、地震発生後3時間もたってようやく「万全の対策を講じる」とのコメントを発表。同日夕刻の20時頃に兵庫県知事が自衛隊災害派遣を要請するまでは、緊急支援でスタンバイする自衛隊や米軍に待った」をかけ続けていたといいます。また18日には、今回の東日本震災ではボランティア担当総理補佐官となった辻元清美氏が現地入りしたが、救助活動よりもピースボートビラまきをやっていたそうです。翌19日には、村山首相土井たか子衆議院議長が、現地視察で神戸市灘区の王子公園ヘリポートにヘリコプターで降り立っていますが、救助活動を行う自衛隊にはヘリポート使用を禁じていたそうですし、米軍からの支援申し入れにも断っていたそうですから、村山首相といい土井たか子といい、この方々は、やはりどうかしています。この日、炊き出し支援をおこなった指定暴力団山口組の方がよほど人間的です。村山首相は「なにぶん初めてのことでございますし、早朝のことでもございますから、政府の対応は最善だった」と発言し、後で全面撤回しています。阪神大震災2次災害をもたらしたお役所仕事の悪さも、例えば、スイスから到着した災害救助犬にも「検疫がどうのこうの」でもめたなどの事例が少なからずあるようです。
今回の2011東日本大震災では、自衛隊への出動要請はすぐに行われましたから改善されています。但し、同盟国の米軍からの出動申し入れためらったり、救助犬派遣を日本から要請された某国が、同じ日本の別の役所から「空港検疫1カ月を1週間にまで短縮はできるが、救助犬は管理できない」とまったをかけられて、災害救助犬派遣そのもの取りやめになったり、食料品を送ろうとする国に対して「食品安全基準のチェックがされていないし、日本語の表示ラベルもない」と拒否したり、東南アジア某国からの毛布数万枚の申し入れを「サイズ(80x80)が違う」と断ったり、縦割りで規制発動するお役人の仕事ぶりはあまり改善されていないようです。釜石市鵜住居(うのすまい)地区では、4億円をかけてできたばかりの「避難所に逃げ込んだ方々」の多くが津波に飲み込まれて亡くなられたようです。役所関係者は「逃げ込む一時避難所ではなく、津波が落ち着いた後の避難場所だった」と言いますが「紛らわしい命名」で「避難所と思い込んだ方々」が逃げ込んだとすれば、紛らわしい命名をした罪は重い。このようなお役所仕事には、もう一段の気働きと緻密さが求められているのだということを示す事例のような気がします。
2011東日本震災では、原子炉事故に際しての2次災害が発生しています。原子力技術によって起こった事故ではなく、管理のみならずマネジメントの不足で起こった事故です。対照的なのは東北電力女川(おながわ)原子力発電所です。今回の東日本震災でもびくともせず、震災後も停電することもなく、道が孤立した女川町や石巻市の住民が逃げ込み、原発施設内の体育館が避難所として機能しているそうです。そもそも東京電力は「お役所体質」が強いといわれてきました。東電に近い方のお話では、東電を管轄するお役所の方も「既に承認したことを変更する必要などない」と改善を妨害するようなこともあったそうです。東電は、2002年に福島原発データ改ざん事件で社長が交代しています。2007年の新潟県中越沖地震では、柏崎非常用ディーゼル発電機が水につかって使えなる事態が起きたそうです。この経験が、今回の福島原発の事故を見る限り、この柏崎での経験が同じ会社なのに横展開されていないようです。さらに2010年6月にも発電機故障原子炉自動停止し、起動に15分かかり、水位が2メートルも下がるような事態があったと報道されています。今回の2011年3月11日の東日本震災で起こった福島原発の事故の始まりは、停電時の非常用ディーゼルが動いたのに「海側にあったディーゼル冷却のポンプが流された」ことによるものです。電源を失ったことから、原子炉への注水がきかなくなったことで事故が起こっています。予測不可能な想定外などではなく、西尾幹二氏が産経新聞2001年3月30日付で「2006年に共産党議員が国会で質問に立ち、当時の二階堂経産相善処を約束したことだった」と寄稿しておられましたが、そうだとすれば、大臣が約束したことを放置したお役人(原子力安全・保安院)と東電経営者不作為による人災といえます。まさに幕末にハリスが指摘した「日本は、嘘つきのお役人と、優れた人民、」の組合せ、という事態といえます。
地震報道で気になるのは、日本の「テレビ報道の多くが低俗卑猥」なことです。テレビ業界には、本当のおバカで軽薄なやからが多数派なのだからだろうか? あるいは日本を壊したい「反日の左翼活動家」が東京や沖縄の報道業界に多数で潜り込んでいるからだろうか? どちらなのだろうか? と考えてしまいます。例えば、CNNBBCと比較すれば判ることですが、世界の一流メディアは「現場のありのままを伝えよう」としており、現場の自衛隊米軍の活動も頻繁に映像で紹介されています。ところが日本のテレビ報道の多くは、まるで全体主義言論統制のように、自衛隊や米軍の活動は殆ど紹介されません。非常識極まるのは、被災地の子供親の安否を聞いて映像に流したり、天皇陛下のお言葉まで芸能人と同列に編集するという傲慢さ、あるいは震災後の東電の会見などでは、居並ぶ記者の多くは、平時のスキャンダル報道の「責任追及モード」というか、やりとりは小学校のホームルームレベルというか、聞き出すテクニックの貧弱さが目立つ、プロのジャーナリストでも何でもない、ただの「勝手に国民を代表して正義を語る」だけの集団のように見えました。記者会見の目的は、危機に直面しての「事実の確認」と真相究明なはずなのに、言葉尻をとらえて攻撃したり、枝葉末節なことをツベコベいうだけの態度は、もっと「民主主義を守るジャーナリスト」の分別ある態度に是正改善して欲しいものです。
最後に、筆者/青草新吾が今この時期に訴えていきたいのは、復旧・復興のための莫大な資金作りへの全国民の参画です。当座の全国民による被災地・被災者への募金は当然としても、抜本的には、私ども現役ビジネスマンは「もっと稼いで納税し、雇用を増やす」ことが必要です。そのためには、経済を冷やすような「行過ぎた自粛は逆効果」だと声を出していくことが必要です。また災害に便乗しての安直な増税は逆効果です。上述の橋本龍太郎元首相の謝罪通りで「政策がもたらす3次災害」にしかなりません。絶対にやっては駄目な政策と考えます。