177. 日本の会社の現場力と、未熟なジャーナリズムと資本主義
日本が強いのは「現場力」ですが、弱いのが「政治」。日本で政治が機能しないのは、なあなあなのでリーダーを選ぶのが苦手な国民性と、対立する意見の両方を掘り下げていく取材ができないジャーナリズムの未熟さが大きな病因と考えます。
日本の何が駄目なのか?今回の東北大震災と原発問題では、日本の強い側面として、多くの日本企業の「現場力」が実証された反面で、日本の弱い側面として、お粗末な政治家と、ジャーナリズム精神を欠いた大マスコミの低俗報道が際立っています。世界を知り、歴史を知り、日本のあり方を考えていかねばなりません。日本の弱点は、議論が下手なことです。なあなあになり易く、なあなあの空気に乗じて理屈を捏ね回すノイジイマイノリティが世の中を代表するような言動をとったり、なあなあの空気から一気に一方向になだれ込む傾向が強いことです。「事実に基づく論理的な議論」よりも情緒的な議論に陥り易いことが、日本の国民性一般の弱点です。組織経営の点からも「失敗の本質」(ISBN:4122018331)や「撤退戦の研究」(ISBN:4334006809)が指摘しているように、属人主義が蔓延り易く、成功体験がワンパターン化されやすく、成功体験の復讐を受け易い傾向にあります。大前研一氏が「未だに日本は太平洋戦争への反省が足りない。“着地の方法がわかっていない”という日本型リーダーの悪しき体質は何も変わっていない。今のやり方だと、再び国民は最悪の結末へと道連れにされかねない。・・・政治と外交のリーダーのコミュニケーション能力が欠落していたために、対米開戦やむなしという田舎侍の論理に自らを追い込んでしまった。よしんば戦争を始めるしかなかったとしても、被害が最小となるような着地(講和)の方法を考えておかねばならなかった。ところがリーダーたちにそのような発想がなかったために、講和の機を逸してずるずると戦争を継続し、原爆を落とされて無条件降伏という最悪の結末を迎え、満州も、朝鮮半島も、台湾も、南樺太もすべて失い、国土は灰燼に帰した。・・・要するに日本のリーダーは世界と対話するコミュニケーション能力がないのである。だから、いつも日本は追い込まれることになる。 」とSAPIO2011.6.15版で述べておられましたが、同感です。
国民や諸外国への発信力という点では、最近では小泉首相の存在が思い当たりますが、あくまでも例外的な存在で、現状は「マスコミに迎合するだけの軽薄な政治家」がやたらと目立ちます。日本のメディア報道の低俗さについて、例えば仏国で「日本では、メディアが些細な出来事を書きたて、これに政治家が迎合する。11年初めの前原外相を辞任に追い込んだ “在日の支援者から5万円もらった”との“あまりにくだらない告発”とその後の政治の動きは落胆させられるものだった」(COORIE JAPON)と、国民の将来にとって重要な事項の取材報道をせず、些細なことばかりあげつらってセンセーショナルに報道する日本の低俗メディアの実情を報道していたそうです。日本の日本の多くのメディアが「一方向からだけの偏向(One sided) した報道」を繰り返す体質は、太平洋戦争の前も同様だったようで、清沢きよしなる御仁が1934年に「日本の新聞は、一つのサイドのニュースしか伝えない。ジャーナリズムは両方の立場を公平に報道すべきである。 」と、また1935には「日本を滅ぼすものは、信じ得ざるまでの観念主義、形式主義の教育である。」と書き残していると、日経新聞2010.8.10付が紹介していました。
Will-2011.8月号で、埼玉大学名誉教授の長谷川三千子氏は「管首相の浜岡原発の全停止要請は、はなはだ悪い先例を作った。もしも本気で差し迫った地震のことが心配だったら、まず行うべきは非常用の安全装置をさらに二重、三重につけ加えさせるのが先決であろう。原子力発電は、発電を停止しても(原子炉がある限りは)安全ではないということを、菅さんは福島原発の事故から学ばなかったらしい。・・・・30年以上かけてゆっくりと“脱原発”の道を歩もうと提案するのと、今直ちに止めろと叫ぶのとは、全く違う話である。単なる“是か非か”の論争だと、この両者が一緒くたにされてしまう。原子力発電をめぐる議論が最初から“是か非か”のイデオロギー論争になってしまったために、原子力の功罪を正確に見極めて判断しようという姿勢が育たない。・・・ 」と、また日本原子力技術協会最高顧問の石川迪夫氏は「きちんと検証することなく、ひたすら原発の危険性だけを煽るマスコミも問題です。自然エネルギーだから安全、ということはありません。地震で倒壊した住宅の太陽電池の剥き出しになったケーブルからの漏電で火災が起きた実例が報告されています。世界最大の産油国であるサウジアラビアまでが、いま原発を推進しているといった事実は殆ど報じられません。・・・現在のように、コンピュータやIT技術が普及した世の中で、電力不足を来たし、周波数変動や電圧不安定が起これば、日本社会は一気に凋落していきます。戦後復興は、日本の周辺に工業国がなかったからなし得た。今は、韓国や中国などのライバルが存在するから、日本は、技術国として立ち行かなくなります。・・・1970年代当時、韓国とフィリピン(比国)の国力は、ほぼ同じだった。韓国は78年に原子力発電所の運転に成功し、以降も原発建設を続けました。一方の比国は、76年に、バターン原子力発電所の建設を開始しましたが、79年に起きた米国スリーマイル島の事故で、反原発の勢いに譲歩したマルコス大統領が、燃料装荷の取り止めを命じました。この決断の差が、高品質の安定した電力の供給格差を生み、国力の差となって現れています。 」と述べていますが、原子力については、国のエネルギー政策のあり方として議論を進めることが望まれます。「冷静で論理的な議論」が求められます。「言論を封じ込める報道」は、国益を害するばかりです。このような政治と報道の悪循環の側面を改善していくためにも、危機に強い「地方分権の推進」と「小さくて機動的な中央政府」、そのための「国会定数の削減」、「永田町や霞ヶ関と複合汚染された大マスコミ」については「東京一極集中からの分散化実現」などが不可欠と考えます。
筆者/青草新吾は「論理性を欠いた低俗で情緒的な報道を繰り返す“朝日新聞やNHKなどの偏向報道”と、それらの“偏向報道に迎合する政治的信念を欠いた政治家”こそが、日本衰退の不良エンジンだ」と見ています。朝日新聞は「興味本位の大衆扇動メディア」のようですし、NHKは、かっての国鉄のように“勤務時間中に政治活動しやすい親方日の丸に集う左翼活動家や市民活動家の巣窟”と化しているようにみえます。ジャーナリストは、読者が判断するための良質な情報を提供するのがミッションです。事実を報道するのが使命であって、自分の主観を真実と称して報道する必要はありません。対立する両方の意見を紹介すべきであって片方の主張でキャンペーンをはってはいけません。CNNの“Go beyond the borders, Horizons coming soon”には共感を覚えますし、BBCの“The Power of Questions”とか“Never stop asking, we have been asking the questions”といったキャンペーンや“Personal stories behind the news”といった取材態度には賛同を覚えます。一方で、朝日新聞やNHKの偏向した報道とキャンペーンには「実社会もろくに知らなければ、取材もサボりがちなあなた方の“論理性を欠いたままのへんてこな主張”を押し付けるのは止めとくれ」といいたくなります。
「自浄作用を欠いた組織」は腐敗します。英国のBBCは「国民投票で、存続するか否か、受信料を徴収できるか否か」を国民審査されますから、存在価値のある仕事に努めます。朝日新聞は、偏向報道が嫌気されて発行部数が減り赤字決算に陥るというペナルティと自浄作用を経て、多少は、偏向内容の是正改善が進んでいるような気がします。朝日新聞に対しては、購読するかしないか?の選択権が国民にありますから、多少の自浄作用が働くといえます。自浄作用がなさそうなのがNHKです。職員によるスキャンダラスな犯罪に加えて、NHKスペシャル「ジャパンデビユー」のように取材された台湾人が「取材内容を曲げて捏造され反日報道に悪用された」と訴えているような放送犯罪が多い。NHKも、民営化すべきは民営化し、公共性が高い部分は裁判官国民審査と同様に国民審査で受信料徴収を許可する決定を行うようにしたほうがよいのではないでしょうか。受信契約を結んでいない人にはスクランブルをかけて観れなくすればよいのではないでしょうか?「受益なきところに国民負担を強制するNHK方式など論外」ではないでしょうか。旧国鉄はJRに民営化されて随分と是正改善が進みました。民営化前の旧国鉄は、国労や動労などの左翼活動の巣窟でした。今はNHKの腐敗臭が漂っています。NHKに望むのは、対立する意見の両方を報道しなさい、勝手に一方向からの言論封殺のような報道はするな、ということです。
個人的にNHKの組織の腐臭を垣間見る機会がありました。私の母も93歳となり、有料老人ホームに転居することとなり、実家からのNHK受信料支払いの解約を申し入れました。何十年間も、銀行引き落としで支払い続けてきています。何度か長期の入院もしましたが、NHKの受信料は自動的に支払われてきています。その母の代理でNHKに電話を入れた姉に対して、電話の応対相手の女性は、徴収を止めてもらうための連絡に対してまるで犯罪者を詰問するように、やたらと個人情報に立ちいった質問を長々と続け、「長い間、ありがとうございました」とは一言もでてこなかったそうです。さすがに姉も怒り出してしまいました。言葉遣いひとつをとっても、民間企業では、まずはありえないような電話応対だったようです。「国民にたかるNHKの組織の本性」が露わになった瞬間でした。また報道関係者から聞いた話ですが、大手のテレビや新聞社から1-2名の取材陣を派遣するような現場に、NHKだけが10人規模の取材陣で乗り込むことがよくあり、しかも立派なホテルに泊まっていくそうです。「受信料で手に入れた予算は使い切れ」みたいな小役人根性が蔓延しているのではないでしょうか・・・。
政治不在というか、政治とジャーナリズムの未熟さから、多くの日本企業とその役社員がこれだけ踏ん張って納税しているのに、政治と偏向マスコミに足を引っ張られるようなことばかりですが、私ども民間人は、グローバル時代を生き抜いていかねばなりません。数は少ないが日本を良くしようと志を持った政治家、改革派の志を持った官僚、良質なマスコミ、これらの方々がより活躍できるような環境を微力ながらも一人ひとりが作っていくことが大切と考えます。そのためには、企業関係者は、「事実に基づく、論理的な思考」ができる「次世代の社員教育」に努め、国外の取引関係者には、日本の良きスポークスマンとして行動していくこと、これらの数十万、数百万人のビジネスマンの行動の積み重ねが事態を改善していくものと期待して頑張る他ないのかもしれません。