青草新吾の惺々著考 glocaleigyo

エコシステム型の生産財営業でイノベーション共創と好社会を目指す。

179. 台湾から戦後世界と日本を俯瞰

8月15日は、日本敗戦の日であり、同時にドルの金兌換停止で円が360円の固定相場から変動相場に移行した日であり、台湾では終戦で日本に放棄された日です。

  8月第1週に台湾を訪問しましたが、宮崎駿監督の“千と千尋の神隠し”の湯婆婆の屋敷と町のモチーフになったといわれる九份(JiuFen/台湾語でKau2)に足を伸ばす機会がありました。湯婆婆の屋敷とは“阿妹茶酒館”で、看板には“阿妹茶楼”、側には日本語で“あめおちゃ”と書いてあり、中に入ると、台湾茶のフロアと台湾家庭料理のフロアがありました。台湾式茶の湯は、一杯ごとの味わいの変化を楽しむものだそうです。
  九份(Jiufen)は、台北市(Taipei)や桃園市(TaoYuan)からは車で高速を走ると30-60分くらいで、元々は金鉱山採掘で形成された町だそうです。日本統治の時代に最盛期を迎え、藤田組(今のDOWAワシントンホテルにつながる企業)が金鉱を管理していたようです。台湾の方々にとってはヴェネチア国際映画祭でグランプリに輝いた“非情城市”の撮影現場になった場所として人気が高まり、今は台湾では一、二の観光スポットとのことです。
  ガイドブック「九份・淡水・桃園と台北近郊」[ ISBN:9784861303517 ]の説明によると「8月15日天皇陛下の声がラジオから流れる中で、赤ちゃんが誕生する冒頭のシーン九份の町と海がでてくる。」そうです。
  今回は、生産財営業に係る8月15日歴史的出来事について考えてみます。66年前1945年8月15日は、日本が、米英支(中華民国)のポツダム宣言を受諾し、“全日本軍の無条件降伏を宣言”した敗戦日であり、40年前1971年8月15日は、米国が一方的にドルと金の交換停止を発表した日です。この日を境にして、ドルが変動相場制に移行し、円も360円の固定相場から変動相場に移行しました。8月15日は軍事的な敗北の日であると同時に、通貨が紙切れになった日でもあります。
  そのパラダイムシフトの影響は絶大で、特に2008年リーマンショック以降米欧で大量の通貨発行が繰り返されるようになっています。産経新聞2011.8.14で編集委員の田村秀男氏が「米欧に比べ、円を刷らない日本だけが、円の独歩高を止められず、デフレをさらにこじらせ、大震災からの復興をどこまでも遅らせる。40年前に世界通貨は紙切れになってしまったのに、日本だけ発想転換できないで、おカネを刷らない。その結果、消費者も、企業も、財政貧しくなるばかりだ。」と嘆いていましたが筆者/青草新吾も同感です。
  現代の通貨政策とは、武器を使用しない富の収奪戦であり、分捕り合戦でもありますが、機能しない政治低俗メディアがはびこる日本は蚊帳の外です。2011年8月6日のS&Pによる“米国債格下げ”は強烈でした。世界中ドル安株安で反応しました。リーマンショックギリシャ危機の再来懸念する声も聞かれます。政治が機能しない日本国は、デフレ円高を通して世界中からパンチを受け続けるだけの不作為無策な状態が続いています。
  日経新聞2011.8.14付で米ユーラシア・グループ社長のイアン・ブレマー氏は「世界は東日本大震災後の日本人の姿感銘を受けた。しかし世界を落胆させるのは、日本の政治の混迷と無策ぶりだ。未曾有の危機にありながらも、政治は変わらず、日本の未来へ向けた決断ができない。日本のリーダー不在深刻だ。・・・・日本は、成長への投資をあまりにも怠ってきた。人口減少は深刻だ。移民はともかく、まず女性が労働参加しやすい環境を整えたほうがいい。・・・米国が覇権を握り、同一の価値判断へ向かうグローバル化の流れに日本がついていく時代終わった自由主義の資本主義中国などの国家資本主義が激しく火花を散らす、極なき時代の中で日本も対応を迫られる黙っていては駄目だ。国益判断基準を明確に主張していかねばならない。国家のトップ外交を主導し、それを支える強力な安全保障の評議会専門シンクタンクも欠かせない。・・・・脱原発は日本経済にマイナスだ。脱原発は、産油国に足元をみられ、国内消費者に負担をかける。新たな安全技術適正な規制透明性の高い運営で対応すべきだ。・・・日本は震災持続性安定性世界に見せた。かたや世界は成長を追い求め、環境や食糧でひずみを生み、危うい次元に踏み込みつつある日本国際舞台で果たす役目とても大きい。」と述べていました。
  ここで一度、世界の通貨問題の流れを振り返ってみます。世界初の紙幣帝国は140[2008.8.30]と152[2009.2.28]で前述したモンゴル帝国であり、その後は金との兌換を停止した米国です。1944年に連合国44カ国がブレトンウッズに集まって米ドルが“金と並ぶ国際通貨”として合意され、基軸通貨となりました。流れは149[2009.1.11]で前述の通りです。基軸通貨となったドル金本位制に基づく固定相場制から離脱したことで、主要先進国の全てが通貨の変動相場制へと移行しました。今日の通貨安競走へとつながるパラダイムシフトでした。
  金との兌換を停止した後のドルは、その後も基軸通貨として絶対的な価値を維持してきましたが、それも2008年9月15日リーマンショックで大きく変化します。
  米国は国史上前例なき勢いドルを刷り、「危機前の3倍」にまで高めました。QE1(量的緩和第1弾)で、2007年のサブプライム崩壊でほぼ紙屑に成り下がった住宅ローン担保証券を、QE2(第2弾)で米国債を買い上げてドル基軸の金融システムを維持しました。一方の欧州でもギリシャなどの財政・金融不安から、欧州中央銀行ユーロを刷りまくって発行し、ドルユーロ通貨流通量を増やしました。国益に敏感な中国は、ドルの大量発行に困っているようですが、一方ではしっかりと円にリスクヘッジをつないでいます。中国の人民元は“ドルに対しては元高だが、に対しては元安”で、ドル安のツケの一部日本の円高に回した格好です。人民元レート割安で、円レート割高なので、内外価格差実態以上に大きく拡大し、デフレ圧力になっています。
  日本の役人デフレ大好き人間が多いから困ります。財務省は、デフレから脱却して国債利回りが上昇すれば、国債を大量保有する金融機関に1%当り2.5兆円の評価損が発生すると宣伝し、現状維持を決め込んでいます。家計の現預金8百兆円超から生まれる1%当り8.2兆円の金利が、消費を刺激し、お金の回りが良くなる効果最初から無視しています。日銀はといえば、インフレ発生リスクを言い訳にしてお札を刷らずデフレ円高を放置したままです。国や地方自治体の政府債務GDP比で2倍を超えていますが、数年後の“経常収支赤字化”の可能性までもが高まってきています。この経常収支赤字についてどのような認識をもっておけばよいのかを考えてみます。
  筆者/青草新吾は、通説からはやや外れるかもしれませんが「今の日本は“経常収支赤字化”の逆張りメリットで、“デフレから脱却できるかも”しれない」という論点に、経験からくる肯定感を覚えています。経常収支が常に黒字だった81年以降よりも、赤字黒字交互だった80年以前の方が、社会全体に躍動感と元気があったように感じていますし、失われた20年の間に設備投資(I)償却の範囲内に収まる一方で、企業の手元資金(S)が増え続け雇用4百万人減ったという事実からは、とても説得力があります。JPモルガンの榊原可人氏がエコノミスト2011.6.7付でUBS証券シニアエコノミストの会田卓司氏の論点を紹介していましたが「今の日本は、まずは“デフレ脱却による税収増”を目指すべきである。将来的に税ベースの拡大は必要かつ適切かもしれないが、増税よりもまずはデフレ脱却が先決である。デフレ下の増税は、事態を更に悪化させるだけである。・・・・今は、民間の貯蓄余剰デフレ圧力になっている。マクロ経済恒等式相関・因果関係からみると、GDP(国内総生産)における生産支出所得3面等価から“経常収支(X-M)=財政収支(T-G)−民間貯蓄バランス(S-I)”との相関関係・因果関係が判る。今は、財政収支の赤字(T<G)民間の貯蓄余剰(S>I)経常収支の黒字(X>M)となっている。貯蓄余剰赤字(S<I)に逆転してしまえば、貿易収支逆転して赤字(X<M)となる。民間(企業)の貯蓄余剰が赤字となり、経常収支が赤字になれば、デフレ圧力が後退する。日本経済がデフレを脱却できて、緩やかなインフレになれば、税収の増大をもたらすこととなり、後を追いかけるように財政収支も改善していく。経常赤字へと転じていく可能性は“災い転じて福と成す”展開を示唆している。」と・・・・こう考えると、日産がマーチを泰国で生産し、日本に逆輸入するというのはデフレ脱却への大きな貢献かもしれません。
  ユニクロは、委託製造などで国外に出している付加価値は2割で、8割が国内に残っているそうです。米国アップル社も同じような傾向です。日本でもこのような企業がもっと増えていくと国全体が良くなるのかもしれません。官公労や連合にとっては面白くないことかもしれませんが・・・。その場合におこる一時的な雇用縮小に対しては、174[2010.6.19]で前述したように「企業よりも個人を救うセーフティネット」の強化が必要です。日本と並ぶものづくり大国であるドイツなみの制度にすべきです。役人裁量が入りにくい「給付付税額控除」と「産業構造の転換に対応した職業移動支援」の二つです。
  今の日本に必要なのは「新しい社会構築していくためのイノベーション投資の拡大」です。日本の政治と行政が駄目なのは、“失われた20年”で、自民党(特に田中派経世会)が、高度成長時代の社会保障システムの組み換え行わず自民党に代わって政権の座についた民主党今度は農業や漁業を含めての時代遅れの産業モデルを維持するためだけ補助金バラマキばかりやろうとしているからです。「新しい社会を構築していくための投資とは何か?」について、国民的議論が望まれます。179[2010.12.26]で前述しましたが、一票の格差で実態以上に影響力を持つ農協アルバイト農家の利権や漁業権などの利権を含めてガラガラポンが必要です。次に、国民的議論を深めていくためのジャーナリズムとメディアによるマスコミュニケーションについて考えてみます。
  瑣末なこと政局報道ばかりを垂れ流す日本の大新聞とテレビの報道品質の粗悪さは、もう少し何とかならないものでしょうか。自浄の仕組みがない独占と独裁は、必ず腐敗しますが、日本のメディアのお粗末さは独占に胡坐をかいてきたからではないでしょうか。NHKは、英国のBBCのような国民審査受けもしないのにBBCと同じように受信料を徴収するのが当然のような顔をしていますし、その親方日の丸役人的職場には、左翼活動家が集まる官公労自治労と同様に、左翼活動家市民活動家巣窟となり、放送法違反偏向報道を繰り返していること、162[2009.7.26]と163[2009.8.8]で前述の通りです。放送法違反を繰り返す今のNHKには、受信料徴収の資格ないと考えます。一方で民放テレビ局については、NHKとは真逆の意味でその低俗さにも呆れることが多い今日この頃です。これも自浄なき独占の結果ではないでしょうか。雑誌や映画とNHKなどと良い意味での競走状態で駆け抜けていた“Always 三丁目”の時代の放送界と異なり、今のテレビ業界独占で堕落した腐臭が漂っています。
  週刊ポスト2011.8.26号の特集「テレビよさらば」が、「(放送免許を持つ放送局は)チャンネルを持っているだけ広告代が入ってきた」と記述していました。独占の結果、放送業界は驕り高ぶって腐ってしまいました。総務省が管轄する電波法時代遅れの利権になり下がっているようです。少なくとも放送免許なる利権はとても不公平であることは部外者の筆者/青草新吾にもすぐ判ります。
  OECD諸国では競争原理を取りいれた「電波オークション」が一般的だと聞きますが、日本では総務省役人の裁量による許認可です。後から新規参入した携帯電話にとても高価な電波使用料を請求しながら、放送局にはタダ同然です。上述の週刊ポストによると、キー局5社を頭に置いた全128局(年商3兆円)が支払う電波使用料年間で50億円前後と格安だそうです。また地デジ化の強行で「アナログ放送の終了で、VHF/UHF合わせて200MH以上の周波数帯に空きがでたが、これは今、携帯電話が使っている全帯域に相当し、時価で3兆円近い価値がある。ここには、そのままテレビ局が居座り死蔵されてしまった。電波がテレビ局によって私的流用されている実態が目に余る。傘下の通販会社を優遇して放送するなど、独占禁止法抵触する可能性もある。」とのことです。
  新聞を含めて、日本のメディアの多くは、ムードで騒ぎたて、重要なテーマを掘り下げて報道することは殆どしません。例えば、TPP(環太平洋戦略的パートナーシップ)のような重要課題についての賛否両論掘り下げて報道することはせず“誰かがキャーと騒いだ”というような類の芸能レポーターまがいの興味本位の瑣末な報道ばかりが垂れ流されています。このような低俗報道にネタを提供しつづける政治の混迷とムードの流され易い日本の政治風土について考えてみます。
  学生時代に読んだPHP日本的リーダーの条件」(中村菊男著、執筆当時は慶大教授)をぱらぱらとめくって読見直してみると「世界の日本として、伝統的な日本型のリーダーシップのとり方でいいかどうか疑問としたい。国際的な交流のあり方を考えていくべきで、難しい問題を将来に残している。・・・日本の政治家は、官僚・軍人出身者が多いせいか、自分の政策上の立場を十分に解説して人々に納得させるということをあまりやらない。この点は実にやり方が下手である。明治以来の日本の政治では、独裁者と称せられる人物はほとんど出ていない。だいたいにおいて集団指導制できている。頂点に立つリーダーに生々しい印象を与えるやり手がすわってはよくないのであって、むしろ枯れた人物のほうがいい。参謀にやり手をそろえて、集団指導制が確立しておればうまくいく。リーダーは象徴的なものであって、それをとりかこむ集団指導の網の目が濃ければ濃いほどいいということである。・・・尊重されるのは満場一致であって多数決ではない。だからホンネでは反対しているのに、タテマエでは賛成などという態度もでてくる。日本のムラ社会では、ホンネタテマエ乖離が大きい。だからリーダーたるものはこのタテマエ論議に優れていなければならない。というのは人々はホンネにふれられることをもっとも嫌うからである。最高のリーダーが利口ぶってはいけない。なんにも知らないふりをすることが最善である。」と書いてありました。
  グローバル化の流れの中で、多くのビジネスマンが国外経験を蓄積しながら“保守のための変革”を繰り返してきたということと比較すると、政治の世界における日本型リーダーシップは、あまりにも内向きなところで取り残されたままです。政治の日本型リーダーシップは、世間のムード流され易いのが弱点です。
  太平洋戦争について、日本は、陸軍参謀本部が、蒋介石(Chiang Kai-Shek)との和平を急ごうとしていたにもかかわらず、朝日新聞などメディアが煽る世論に迎合した近衛文麿のような文人政治家が陸軍参謀本部の意見具申を無視して、戦争に突き進んでしまいました。ドイツでは、世界征服を目指すヒトラー強烈なリーダーシップを発揮して戦争に突き進んでいきました。
  ドイツはヒトラーが開戦を主導しましたが、日本は、メディアが煽る世論に迎合して開戦に突き進んでいきました。一方の日本は、リーダー選出に弱さがあり、お隣の町内会長さんのようなムードに流される凡庸なリーダー好む傾向にありますから、選ばれたリーダーやたらとポピュリズム迎合主義になり易い。1941年(昭和16年)の8月に政府の総力戦研究所が提出した「日米開戦に日本の国力耐えられずソ連参戦も予想され、戦争は不可能」との報告に対し、第3次近衛文麿内閣の近衛文麿陸相だった東条英機氏もともに、メディアが煽り立てる世論に迎合しながら開戦に突き進んでいきました。今、管首相が、朝日新聞などが煽る原発の世論に乗って、これといったエネルギー戦略も代替手段もろくにないままで、脱原発を騒ぎ立てているのと同じ光景です。前任の鳩山首相は、これまたムードに流されて二酸化炭素の排出削減で「日本だけ突出した削減目標」を世界にぶち上げてしまいました。この削減目標は原発の増設を前提にしていたそうですから、前任後任正反対のことをぶちまけているわけです。
  日本のリーダー不在開戦前も今も深刻です。その凡庸なリーダーを選び、プロフェッショナルな軍人の意見を遠ざけて戦争に突き進んだ日本のメディアと国民ですが、戦争に負けてしまうと、NHK朝日新聞などは、敗戦後に米軍GHQの上層部総入れ替えの混乱で、左派人材が上層部に入り込んだこともあって、以降は、GHQWGIP(戦争贖罪意識宣伝計画 War Guilt Information Program)に乗っかってすべての責任軍人に押し付けてしまいました。144[2008.10.25]、143[2008.10.11]、142[2008.9.27]で前述の通りです。
  日本のメディアの問題は「対立する両論を併記せずに、最初から決め付けたような偏った報道を行う傾向が強い」ことです。日本の多くのメディアの体質は太平洋戦争開始前同じです。例えば、2008年5月に起きた海上自衛隊イージス艦あたご」の衝突事件では、世界常識からは異様な、日本国内でしか通用しないような報道が目立ちました。多くのメディアが一方的にあたごを悪者にして報道していました。そもそも国家と国民を守るための自衛艦と漁船、小回りがきかない自衛艦と小回りがきく漁船を同列において報道することそのものが、世界常識からは異様でした。報道する者の世界常識への無知と低俗さ際立つ報道でした。太平洋戦争で、開戦に反対していた軍部を「開戦に追い込んでいったメディア報道」そのものです。巨大な自衛艦が見えたら、運動性能に優れた小型の漁船がよけて道をあけるのが世界の常識です。ましてこの漁船はなぜか、バスを追い越す乗用車のように、後ろからあたごを追い越して前に突っ込んで衝突しだそうですから、あたご側が衝突をさけることなどできないではありませんか。
  2011年5月の裁判所の判決は「自衛艦あたごは無罪」でしたが常識に照らして当然です。常識に照らして当然のことに無知なのが今の多くの低俗メディアの実情です。149[2009.1.11]で前述の田母神元航空幕僚長の報道では、両論併記田母神氏本人の言い分を報道していたのは、全国5紙の読売、朝日、毎日、日経、産経の中で、産経一紙だけでした。
  ニュース報道ということでは、181[2011.7.10]で前述したBBCやCNNなどの世界を相手に影響力を発揮するよなメディアが日本から育って欲しいものです。・・・筆者/青草新吾の場合、テレビを観るのは、テレビ東京の“和の総本家”とか夜の“WBC”や早朝の“モーニングサテライト”、関西テレビの“たかじん”、読売テレビの早朝番組“辛坊治郎の解説”ぐらいに減りました。
8月15日は、1945年にポツダム宣言を受諾した敗戦日であり、1971年はドルが金との交換を停止した日です。戦争に巻き込まれて犠牲となられた方々御蔭で今日の豊かで平和な日本がもたらされたと同時に、いやおうなく世界の動きに巻き込まれていく日本の行く末に思いをはせながら、歴史を振り返りながら「これからどうしなければならないか?」と明日のことを考えてみました。