141-1/3. 米国リベラルと覇権国家のパラダイム転換
オバマ大統領の登場は、日本にとっては政治的には大きなリスクを伴いながらも、生産財営業の立場からはポジティブな要素が多いと考えられます。
オバマ第44代米国大統領の就任演説のキーワードは、政治面では“新しい責任の時代”、経済面では“グリーンニュディール”でした。グリーンニューディールは環境技術でトップランナーの日本企業にとっては大きなチャンスとなります。“新しい責任の時代”からは米国リベラル左派や新保守主義の“偏った正義”とその裏側に張りついた日本に蔓延する平和ボケを是正し、国民国家と国民経済、日本型資本主義の再評価へと進む可能性が高そうである、と期待できそうです。オバマ大統領の政策は、日本を苦境に追い込んでいくリベラル左派の過激な政策とはならず、国民国家の国民経済を重視した中道的なものが多くなりそうです。日本にとっての不安材料は、日本の低レベルの政治と反日報道三悪の朝日新聞などにみられる粗製乱造マスメディアの現状です。頻繁な首相交代を煽りたてる平和ボケ報道や、防衛や世界の安全保障に無自覚で、国民国家としての自立を欠いた日本は見限られてしまうリスクがとても大きくなります。
オバマ大統領の民主党政権は、1929年から始まった世界恐慌を背景に登場したルーズベルト32代大統領の民主党政権と対比されることも多いようです。144で前述した江崎道朗氏の指摘である“戦後日本で、戦後教育や戦後マスメディアによって伝えられてきた米国とはリベラル左派に偏った米国ばかりであった。”を思い起こしながら、以下にルーズベルト32代大統領との比較をしてみます。144でも前述したルーズベルト大統領の時代は、第二次世界大戦に参戦直前の失業率15%からも明らかな通り、ニューディール政策でも景気回復できず、最大の公共投資ともいえる戦争で景気回復に向いました。数年前の歴史的発見ですが、開戦5年前の1936年時点で日系人を強制収用所に入れる計画を持っていた事実が確認されましたが、日本との開戦はかなり前から想定していたようです。ルーズベルト政権はソ連と組んで日本との対戦を進め、国際法違反だったはずですが、一般市民に向けての18発の原爆投下を承認していたそうです。後に34代大統領(共和党政権)となるアイゼンハワーや将軍の反対を押し切って承認したそうです。本題から反れますが、ルーズベルトの原爆投下承認はヒトラーと並ぶシビリアンコントロールの惨過事例です。軍人としての倫理を欠いたシビリアンコントロールの弊害には恐ろしいものがあります。本題に戻りますが、今回のオバマ大統領は、ルーズベルトと同じ民主党ではありますが、圧倒的多数で政権の座についたルーズベルト政権と異なり、今回のオバマ大統領(民主党)とマケイン候補(共和党)の得票差は10%以下でした。慶大教授の渡辺靖氏(日経2009年1月16日付)によると「1932年のルーズベルトを選んだ大統領選挙では18%もの大差だったのが、オバマ大統領が選ばれた今回の選挙の場合にはわずか7%。今回の大統領選でリベラルを名乗る候補者は皆無だった。米国民の間ではリベラルに対する嫌悪感・警戒心が強い。」とのことです。加えてオバマ氏個人がイデオロギーよりも柔軟な現実検討を優先する傾向が強いそうですから、民主党の大統領ではありますが、リベラル色を薄めた中道的色彩が濃い政策が中心になりそうです。
日本では、敗戦後に占領政策を遂行したGHQは146で前述した厳しい検閲と言論統制、144で前述したWGIP(戦争贖罪意識宣伝工作 War Gilt Information Program)などで“米国リベラルの正義と悪役日本のファシズム”という単純な二分法でしかない善悪論、米国リベラル左派が米国で実現できなかった過激な政策を日本で実行しました。あまりにも米国リベラル勢力の強烈な影響を強く受けたせいか、あるいはGHQのキャンペーンである“戦前の日本は悪だった 米国は解放者 ”に共産党や社会党などのソ連から寄付を受け続けていた勢力が伸長したためか、1951年のサンフランシスコ条約でGHQの占領政策から独立してからも、国民国家としてのリセット(再設定)しないままで、そのまま自民党と社会党で政党勢力を二分する55年体制へともつれこんで、高度成長に入りました。米国リベラルがGHQを通してセットした“日本弱体化プログラム”は、左翼勢力や朝日新聞などマスメディアの相乗りと、“生活の豊かさによる堕落”のシナジーで大成功したのかもしれません。その米国が今や日本に対して“責任ある大国”を求めてきているのですから、歴史の皮肉といえます。日本は、経済的には世界2位となりましたが、GHQがセットした“豊かさ実現による堕落プログラム”で、政界、官界、マスメディアの粗悪品質の是正改善はとてものろのろスピードです。
世界が食糧や天然資源を奪い合う“21世紀型帝国主義”の時代に入りつつあるとすれば、ソマリアの海賊問題という現実にも真正面から向き合えない日本の政治やマスメディアの平和ボケ勢力は、日本という国民国家に巣食う獅子身中の虫のようなものです。
139[2008.8]で欧州生活の達人/デュラン・れい子氏の著書「一度も植民地になったことがない日本」*1を引用しましたが、「一度も植民地にされたことがないアジアの国」という欧州人の日本に対するイメージこそが国際社会の過酷な弱肉強食の現実を物語っています。京都大学教授の佐伯啓思氏が近著*2で、福沢諭吉が文明論の概略で世に問うていた内容を判り易く引用していましたが、福沢諭吉の論旨「弱肉強食の国際社会の現実に対して、日本が植民地とならず、独立国であり続けるために、日本を、単なる西洋の模倣や追随でなく、西洋と互角に戦える文明国にせねばならない。文明が素晴らしいというわけではない。独立を保つに必要なパワーを持つということである。自分は好戦論者ではないし、戦争を勧めているわけでもないが、日本が近代化政策をとり続けると、最後は戦争になると覚悟を決めておく必要がある。」という論調は、当時の国際社会の現実をよく言い表しています。
米国のグローバル主義や金融資本主義が振りまいた幻想とは反対に、グローバル企業といえども、事業展開は国民国家が基盤です。飲料・食品事業で世界最大のネスレは、母国であるスイスのインフラをバックボーンとして成長を続けています。売上高10兆円の4割強を米国で、4割弱を欧州で稼いでいるそうです。日本という国民国家の規模の縮小はしかたがありませんが、競争力までもが衰退しないように期待するものです。
*1:「一度も植民地になったことがない日本」デュラン・れい子著 ISBN:9784062724487
*2:「自由と民主主義をもうやめる」佐伯啓思著 ISBN:9784344980976