145-1/2. 漢民族の死生観 映画「おくりびと」との比較など
死生観に関し、日本人は諸行無常で“死ねば仏”ですが、中国の漢民族は不老不死への強い執着の裏返しからでしょうか、“政敵の墓を暴いて死体に鞭打つ”といわれます。
映画“おくりびと”は日本人の死生観を世界に発信してくれました。国際社会学の立場からの中国研究家で、国際教養大学学長の中嶋嶺雄氏は著書*1で「中国人の伝統的な思考様式は“死生一如”です。現世重視の中国人には、生にも死にも境はありません。世俗的な現実主義者であり、現世で名を残すことに強い関心がありますが、死後の世界はあまり考えないようです。日本的な心情、日本的な情緒、日本的な死生観、例えば、中国には情死という死に方もないわけで、大阪の“曽根崎心中”のように情死が歌舞伎や文学のテーマになることからはほど遠いのが中国人だといえましょう。」と述べておられます。筆者/青草新吾は1993年頃は比国(フィリピン)に駐在していましたが、ある裕福な華僑の方から、中華系比国人のお墓の中には、冷蔵庫がおいてあることもあるとお聞きして死生観の違いに想いを馳せた経験があります。当時ヒットしていた香港映画の中ででてくる幽玄道士、“ぴょんぴょんと跳んで進むキョンシー”とは、魂魄(こんぱく)というふたつのたましいの片方である魄(はく)だけとなった“動き回る死体”であったということを最近知りました。
90[07年5月]で前述した愛知県立大学の樋泉教授は著書「死体が語る中国文化」*2で「中国では、人間には(「魂(こん)」と「魄(はく)」という)二つの“たましい”(両方で魂魄こんぱく)が備わっていると考えられてきた。魂(こん)とは肉体と離れても存在する。魄(はく)とは肉体とともに存在する。魂魄の魄(はく)という肉体とともに存在する“たましい”も尊ぶからこそ、腐りはてるギリギリの時点まで肉体を保存しなければならない。改葬、すなわち二次葬とは、肉体が朽ちて骨だけになったとき、失われた魄を弔うために遺体を掘り起こし、骨を洗い清めて再び埋葬しなおすことである。・・・・歴史的に数限りない権力交代と凄まじい権力闘争を経験してきた中国人は、政敵への怨念や“政敵から復讐を受けることへの恐怖心が異常に強い”から、恨みが深いから、将来あるかもしれない“復讐の根を絶っておけ”と“墓をあばき、遺体を焼き、遺骨をまき散らしてまで徹底して政敵を抹殺”しようとする。自分が権力を握ったら“政敵が絶対に復活しないように容赦のない極端な仕打ち”を施す。・・・・中国人の反日感情は、反日教育のせいでもあるが、同時に、それ以前に“政敵の死から千年の時が経ってもまだ恨み続けるという中国人の民族的体質”からもきている。・・・死んだら誰でも神様の日本人の感覚とは大違いである。まして(靖国神社について中国人は)兵士が神様として祀られるのを理解できない。中国の常識”からは、“兵士とはゴロツキであって規律などないはずのものだからである。中国人の反日感情は未来永劫続くものだと日本人は覚悟しておくべきです。」と、また人間を食べる食人について「中国は苛烈を極める権力闘争に為政者の圧政、失政という事情から死の大国である。清朝時代の餓死者が13百万人、国共内戦の死亡者3百万人、毛沢東の大躍進政策の失敗による餓死者20百万人以上、文化大革命の犠牲者は30百万人とも40百万人ともいわれる。・・・二十世紀の中国を代表する文学者の魯迅は、古来、中国人の体内に染み付いた“食人”という行為を呪い、未来を見据えて民族の歴史を痛み悲しみ、そして深く恨んだ。・・・明代の漢方薬学百科全書にも人骨、人肉、ミイラなどを薬にするための調剤方法が詳述されている。」と説明しておられます。
中国の文化大革命では数千万人が殺されたといいます。ソフトブレーン社を創業した宋文州氏は、“成人後に来日”し、日本の株式市場で“最年少で上場”した記録の保持者です。生まれ故郷の中国で、文化大革命の混乱で一家離散となりながらも生き抜かれた御仁です。その宋文春氏が2008年9月5日のメルマガで以下の寄稿をしておられました。曰く「私の祖父は苦労して蓄積した家財と土地を奪われた上、迫害され若くして亡くなりました。彼を収奪し死に追い込んだのはそれまでの可哀想な貧農であり、今でいう弱者たちでした。祖父と同じ立場の人の中で生き埋めされた人もいました。“共産革命”は最も貧乏だった人々に無法の権力を与え、それまでの強者を徹底的に迫害しました。あの非人道的で暴力的なやり方は、強者のやり方をはるかに超えていました。しかし、権力についた元弱者達は特権を乱用し、人権を無視し、金や女に溺れていきました。その節度の無さは、権力と富に飢えていた分、元強者をはるかに超えていました。魂の綺麗さは、人の強弱や富の有無とは関係ありません。弱者が綺麗な心の持ち主と考える風潮は妬みであり、欺瞞です。・・・・国際政治も同じです。小国の権利を踏みにじる大国は非難されるのですが、小国の暴虐は咎められるところか、同情されてしまいます。・・あえて南オセチアへの武力侵攻を敢行したグルジア。しかもオリンピック開催中のタイミングを選んでの挑発ぶり。ロシアによる南オセチアの独立承認は容認できませんが、先に暴力に訴えたグルジアが同情される国際世論はいったい誰によって形成されたでしょうか。・・・中国もそうですが、実は左翼と右翼は非常に気持ちが通じ合うそうです。戦前の極右の朝日新聞が戦後に極左になるように、彼らの共通の本質は極端を走ることであり、主義主張そのものではないのです。」と述べておられました。
中国の学校教育について138で前述しましたが、WILL[2008年10月号]で屋山太郎氏が「孔子の子孫にあたる在日中国人がテレビで断言していたが、中国人の死生訓とは死んでも間違いを認めない“死不認錯”である。認めたら殺されるという社会が何千年も続いてきたからで、その象徴がさながら戒厳令下の北京五輪だ。・・・(中国のリーダーは嘘をいう。) その都度、日本が反論しないから、日本の悪逆非道さのみが世界に広がり、そのウソが史実であるかのように定着していく。日本人の潔さが裏目に出ている。」と述べていました。生産財営業の最大の輸出先である中国を理解するためにも、漢民族と日本人の違いを理解しておくことが役にたちます。次頁では、中国のペテン(繃子bengzi)文化について記述します。
*1:「日本人と中国人 ここが大違い」中嶋嶺雄著 ISBN:9784569698427
*2:「死体が語る中国文化」樋泉克夫著 ISBN:9784106036101