青草新吾の惺々著考 glocaleigyo

生産財の青草新吾1はリタイア。シニアの青草新吾2は複業で貢献を目指す。

157-2/2. 鳩山さんのエコへの理想は貴いが負担も大きい

山新政権は善意のチャレンジ目標とすべき“1990年比25%削減”を、国際公約にしました。理想は貴いものの国連も世界もずるい面もあります。実現のための失業増加、消費税を上回る重たい環境税、等々に加えて更に公約違反のペナルティ(何兆円もの排出権購入)で、日本国が“エコ破綻”せぬよう切り抜けていかないと・・。

鳩山総理が、人類の持続的な繁栄のために“国益を犠牲にして”でも“友愛精神から苦渋の決断を行った”ことが感じ取れるのであればまだ納得もできますが、“国民負担(国益)など気にもせずに、“たられば”の空想無邪気に話す鳩山首相”を映像で見る限りでは“若殿の気まぐれご乱心”としかいいようがありません。
技術オンチの無責任な金融評論家は“省エネ技術開発で日本が栄える”など“たられば論で誉めそやし”ていますし、政策の受益企業となるシャープ(太陽電池)の町田会長やオムロン(省エネ制御)の立石会長などからは賛成の意見も出ていますが、確かにそのようなポジティブな側面もあるにはありますが、しかし日本のGDPでサービス産業などへの派生効果まで含めると4割の富生み出す製造業の多くにとっては、とても迷惑千万過激すぎる政策です。また各家庭にとっても、まだ使える機器を強制的に省エネ機器に買い換えるなどで家計に負担がかかることになります。日本が世界に誇る鉄鋼製品などが、国内生産などあほらしくなって途上国に出ていけば雇用も失われていきます。高級素材が出て行けば、中間財や最終財の生産も更に国外に流出していくことになります。残された金融業などだけでは、1億の国民の雇用を生み出せません。
排出枠交渉とは領土交渉同じようなもの”です。排出枠を削減するということは“領土を削減します”と同じようなことです。領土を狭くして国際社会に提供します、と言っているのと同じです。科学よりも政治的な駆け引きの場に成り下がった国連気候変動会議(COP-FCCC)で、国益をかけて外交交渉を行う場で、無邪気に発表された90年比25%削減なる国際公約とは鴨が葱を背負って登場したようなものです。
技術オンチの金融評論家は技術開発に期待するといいますが、今現在で見通しが立ったものの“苗にもなっていない技術”や今現在ではまだ“実現していない技術”で2020年までに90年比25%削減の目標をクリアできるなどというのは、無責任な議論です。技術の木を育てて、果実からジュースを絞り出すには一定の時間が必要です。また、今現在で存在する技術についても、濡れた雑巾から水分を搾り出すのは簡単ですが、乾いた雑巾から水分を絞りだすのは大変です。159[2009.6]で前述しましたが、日本の排出量は、国民一人当り英国並みの10トン、GDP当たりでは世界最小です。世界一の省エネを既に達成している日本では、これ以上の省エネには多大なコストがかかります。
165[2009.8]で前述しましたが、 各国の削減目標を公平に1995年に置き換えてみると、EUは“1995年対比12%減”(なのに1990年対比にすると特別に20%減へと大きくできる)です。一方で、民主党は“1995年比27%減”(1990年比25%減)と、“EUの倍以上無茶な目標”というか願望であり、お坊ちゃま気質から飛び出てきた大見得のようなものです。そもそも麻生政権が打ち出した“1995年比14%削減(2005年比15%削減)”で既にEUの削減目標を上回っていたのに、交渉をする前からさっさと気前よく上積みした訳です。交渉のカードを最初から切ってしまって、日本国民だけに犠牲を強いて、どうするつもりなのでしょうか?
気候変動国際会議(COP-FCCC Conference of the Parties – Framewark Convention on Climate Change )とは、純粋な自然環境保護を討議する場ではなく、今後の経済成長の余地を獲得し、中国が代表する新興諸国や途上国への資金拠出の分担を決めるという、国益をかけた外交、即ち武器を使わない国際交渉の場です。EUが“1990年対比”に固執するのは、ソ連崩壊という歴史上の一時的な偶然から捻出された数字をとりこめるからです。したたかなEUは、この歴史上の一時的な出来事最大限に利用して国際交渉に臨んでいます。1990年基準とは、EUにとってはとても有利で、日米にとってはとても不公平な基準年(1990年)でしかありません。不公平な基準年の是正に向けて、日米が共同して“2005年対比”を主張したのは国益に適う話した。ところがその是正に向けて交渉が始まった矢先に、日本が米国を裏切って基準年1990年に翻った訳です。仮の例え話ですが、世界の4%排出国でしかない日本が、日本人が呼吸すら止めて排出をゼロにしても、最大排出国中国排出増で、帳消しになってしまいます。地球全体にとっては、何の効果もありませんから、日本国民の犠牲無駄でしかありません。太陽電池メーカーなどにとっては、神風となりますが、日本が世界一の競争力を誇る鉄鋼業界など素材産業では、国内生産の縮小に追い込まれて、雇用の海外流出が加速します。世界で最も省エネが進んだ日本の資源加工型産業が、国外流出していくというのはあまりにも理不尽ではないでしょうか?それでも25%削減には至らないでしょうから、炭素税という増税も必要となります。
環境税(炭素税)について日経新聞2009年9月16日付が「二酸化炭素1トン当たり10千円環境税で、歳入が約10兆円程度、これは消費税4%に相当する。1トン当たり20千円であれば20兆円もの財源となり消費税8%に相当する。・・・エネルギー消費2割減らすには、原油価格4倍にするほどの環境税が必要になる。有力シンクタンクの実証分析によれば、石油危機に直面した当時の日本では、原油価格が2倍になっても長期的にエネルギー消費は1割程度しか減らなかった。2020年の日本国ではGDPが1割程度拡大するとの前提もある。GDPの拡大まで含めると、民主党の削減目標とは3割削減ということに他ならず、価格メカニズムだけに頼ると、原油価格が8倍になるほどの環境税が必要になる計算だ。原油1バレル当たり30千円台環境税が必要になるだろう。これは二酸化炭素の排出税に換算して1トン当たり60千円だ。 」と説明が記載されていました。
2020年までの10年というのは長いようですが、企業経営、事業経営、生産財営業、消費財営業・・・ビジネスの経験者であれば、10年というのは、あっという間に駆け抜けていくことを実感しておられると思います。技術開発の現場では、特に画期的な発明や開発であればあるほど10年間はあっという間です。現在進行形で開発途上の製品やサービスが収益源になるのは次の10年を待たねばならぬことも多々あります。事業計画で収益源として期待できるのは、今現在で実現している製品やサービスです。
鳩山政権は、官僚制度改革への国民的期待から多大な投票を集め、政権交代しましたが、現実に日々のニュースを騒がすのは、八ツ場ダム中止、夫婦別姓など、国民から必ずしも多くの支持を集めていないことばかりです。米国政府からは民主党政権に対して“米国は日本政府を相手に交渉しているのであって、特定の政党と交渉しているのではない。”との念押しがあったそうですが、今回の“1990年比25%削減”なる国際公約は、途上国への資金と技術の供与という国税バラマキを含め、国民負担(国益)に大きな影響を及ぼす案件です。国民的論議ステップも踏まず世界に向けて公約してしまうのは国民主権憲法精神からは越権行為ではないのでしょうか?